公称の身長175センチ、体重92キロ。
92キロ???
いや、もっとあったんじゃないかなのトラックスラー。
1994年福岡ダイエーホークスに入団した助っ人外国人だ。
1988年にドジャーズに入団。
パワーヒッターとして期待されたが
守れるのがファーストだけの巨体ではなかなか出番は訪れず
メジャーでの出場はわずかに9試合のみ。
1994年に新天地を求め福岡ダイエーホークスにやってきた。
その年の監督は根本陸夫。
3番ファーストで出場。
トラックスラーにファーストをとられた藤本がセカンドに回るなど
この年は守備度外視とも思える攻撃的なオーダーで
前半は快進撃。
ひょっとしたら優勝も期待された。
最終的には失速したものの
それでも69勝60敗で17年ぶりに勝率5割超え。
翌年王監督にバトンタッチするうえでいいシーズンであった。
トラックスラーはこの年、129試合に出場。
打率.265、15本塁打。
後半失速し数字は落としたものの、チームの中心として活躍。
オールスターにも出場した。
そんなトラックスラーに根本監督がつけたあだ名が
コロコロちゃん。
走るより転がる方が速そうな愛嬌のある体格で
当時のダイエーの人気者だった。
トラックスラーは2年契約で入団していたのだが
翌1995年、キャンプ中に解雇されてしまう。
理由は当時の野手外国人枠は2つで、
トラックスラー、ライマーが活躍した翌1995年に大物外国人ケビン・ミッチェルが入団。
ライマーかトラックスラーのどちらかを…となりトラックスラーが解雇されてしまった。
1995シーズンはライナーは前年のような活躍ができず
ミッチェルもご存知のようにデビュー戦の満塁ホームランをピークに、
途中帰国など散々の問題児ぶり。
もしまじめで人気者のトラックスラーが1995年もホークスに残っていたら
また違った結果になっていたかもしれない。
ちなみにトラックスラーは、ダイエー退団後、
マイナーリーグを経て、台湾の和信ホエールズに所属。
引退後はドジャーズのマイナーリーグでコーチを務めていたそうだが
アルコール中毒による肝硬変で2004年、37歳という若さでこの世を去った。
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