平成ホークス30年私的観戦ベストゲームス第4位 連覇が見えた坊西連夜の代打殊勲打!

平成ホークス30年私的観戦ベストゲームス 

第4位 

2000年9月8.9日 

福岡ダイエーホークスvs西武ライオンズ

西武ドーム


1999年悲願の優勝を達成した福岡ダイエーホークス。

連覇を狙うホークスは、西武ライオンズとの激しい首位争いを演じていた。

8月は一進一退。

連勝して首位に立てば連敗して2位に後退。

その繰り返しの中、8月末に5連敗でライオンズとの差が3.5ゲームにまで広がる。

この時点で9月8.9日の西武ドーム観戦を決めていたが、

もしかして「西武にマジック点灯」や「優勝絶望」的な試合を見せられるのでは…

と不安に思っていた。


しかし9月に入り5連勝。

そしてライオンズが5連敗。

まさかの5連勝5連敗でホークスが首位に。

9月8日から西武ドームでの直接対決3連戦となった。


細かいことは覚えてないが、ライオンズもここを3タテすればマジックが点灯。

この3連戦でパ・リーグ覇者が決まるといっても過言ではない3連戦。


球場内もかなり異様なムードだったのを覚えている。


そんな中、初戦は前半からリードを許し1-3。

しかしここからが5連勝中の勢いか。

城島と松中がそれぞれソロホームランを放ち同点。

そしてチャンスに代打・坊西。

控え捕手で地味な存在だった坊西が、この年は打撃で大開花!

代打坊西の打球はレフト前に落ち逆転。

天王山の初戦をものにした。


さらに第2戦は1点リードを許した8回表。

またまた代打・坊西。

「ここで打ったらカッコイイよなぁ」

なぁんて考えてたら、ホントに坊西はカッコよかった。

なんと代打同点ホームラン。


勢いそのまま柴原が逆転アーチを放ち福岡ダイエーホークスにマジックが点灯。

翌日札幌に帰ったため第3戦は見れなかったが、松坂を打ち崩しなんと3タテ。

ホークス連覇を決定づけた西武3タテだった。


この年の坊西は74試合に出場。

42安打26打点とチャンスに活躍。

今調べて気づいたが坊西は13年間の現役生活で通算安打は104本。

そのうちの約4割が2000年に凝縮していたわけだ。


ちなみに1999年は7打数3安打で打点が1。

実はこの唯一の打点1の試合も見ています。


1999年9月19日。

福岡ドームでの千葉ロッテマリーンズ線。

ロッテのエース黒木の前に11回まで無得点。

0-0の12回裏、代わった投手から代打坊西がサヨナラヒット。

ヒーローインタビューでは

城島の控え捕手らしく

「攻撃中にベンチ横でキャッチボールをしてますのでよかったら声をかけてください」

みたいな発言をして笑わせていたが、

その翌年は代打の切り札だもんなぁ。


坊西浩嗣

記憶に残る選手であった。










毎日ソフトバンクホークス~北のホークスファン~

北海道生まれ北海道育ちのホークスファン歴40年。 ホークスが好きすぎて、1999年仕事退職後、2ヶ月福岡に滞在し、王ホークスの胴上げを福岡ドームで見る。現在札幌で広告代理店を運営。雑誌、ラジオ番組などにホークスファンとしての執筆、出演も。 【ホークス関連の主なメディア歴】 ・野球太郎・スポーツノッチェ・別冊宝島・ホークス歌の応援団(RKB毎日)・カムズ北見・アルバイト十勝他

溝手孝司

札幌在住。
劇団⇒ラジオパーソナリティ⇒タウン誌ライター⇒放送作家⇒フリーペーパー編集長などを経て2011年、広告代理店(株)ユータスネットを創設。
創設と書いたらなんかカッコいいが、社員ゼロ、一人社長の札幌一小さい広告代理店です。

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