平成ホークス30年私的観戦ベストゲームス
第1位 1999年9月25日
福岡ダイエーホークスvs北海道日本ハムファイターズ
生まれも育ちも北海道。
なのに物心ついた時からホークスのファン。
当時は南海ホークス。
「どうして?」
と聞かれても、自分でもどうしてかはわからない。
早朝のプロ野球ニュース(子どものころは朝再放送をやっていた)でホークスの結果を見て
一喜一憂というか、憂中心だったが、南海を応援していた。
19歳の時、南海がダイエーに身売りした。
当時ダイエーは超大手企業。
「ダイエーになって資金も増えるからホークスは強くなる」
そんな言葉を聞き、期待したが
チームカラーは変われぞ、チームは弱いまま。
気づいたらファンになって20年。
Bクラスが続いた。
長かったぁ。
1998年は21年ぶりのAクラス!となったが、
勝率5割の同率3位。
6球団中4球団がAクラスという中途半端さ。
そして1999年。
ついにホークスが祈願を達成する。
1999年9月25日。
福岡ドームレフト自由席に座る。
レフト側はビジター…だが、一部の日本ハム応援団以外は全員ホークスファン。
開場と同時に外野席へ向かい、何とか席をゲット。
6時の試合開始だったが、5時過ぎに入場した人はもう席がない。
階段に座っている人も多かった。
この試合の時点でマジックは2。
デーゲームの西武vsオリックスで西武が敗れ、ナイターのダイエーが勝てはマジックがゼロになる。
私的な話だが翌朝札幌に帰ることが決まっていた。
なのでこの日優勝が決まらないと、優勝のシーンに立ち会えない。
試合開始前から一つの戦いが、、、
西武よ負けてくれ!!!
今だとラジコがあったり、スマホの野球速報があったりするが、当時はまだ携帯電話では情報を入手できない時代。
福岡から西武ライオンズの文化放送は聞こえない。
4時に席を確保後、ドームの外に出て福岡のAM放送を聞く。
生放送のこの番組では、合間合間に西武戦の速報を伝える…が0-0のまま。
5時を回り、さすがに球場内が気になり再びドームへ。
5時過ぎ…何分だったか忘れたが、会場内がざわざわする。
後ろを見るとスポーツバー席(今は王貞治ミュージアムになっている場所)で観戦している人が
頭に両手を置き(まるで猿のように)、それから1という数字を出す。
それも1人や2人じゃない。
スポーツバーに座る観客のほとんどが、猿、1、猿、1を繰り返す。
新しい宗教団体でも誕生したかと思ったが、、、
さすがにわかった。
スポーツバーで流れているテレビ番組でニュースが流れたのだろう。
猿・・・じゃなくてM
1・・・は、もちろん1
M1だ・・・
と気づいたのとほぼ同時にドーム内のスコアボードに
西武が敗れ、ダイエーのマジックが1になったことが伝えられ、場内が大きく沸く。
勝てば優勝!!
そんな興奮状態のまま試合が始まる。
秋山の先制ホームラン。
城島の2アウトからのセフティスクイズ。
初回にあっという間に2-0。
こりゃ優勝できるぞ―――とドーム内相当フワフワした空気が流れたが、
そんな簡単には勝たせてくれない。
4回表。なんとフランクリンに満塁本塁打が飛び出す。
2-4
若田部ぇ・・・。
しかし4万を超すほぼホークスファンの後押しはすさまじい。
5回城島のタイムリーで1点差。
7回小久保のホームランで同点。
そして8回井口の決勝ホームラン。
まるで漫画か!!!ってくらい、
スコーンスコーンとダイエーホークスが逆転する。
最後は守護神ペドラザが締めて5-4
ファンになって22年目。
1999年福岡ダイエーホークスが優勝した。
・・・あれから20年が経ったんですね。
チーム名がソフトバンクに変わり
球場名がヤフオクドームに
当時のエースが監督になって
1番も4番も解説者。
決勝アーチの選手はライバル球団の監督。
女房役はプロの釣り師(笑)。
時代は変わったが、今もホークスファンのまま。
気づいたら北海道に野球チームが生まれ、
昔以上にアウエーだけどね。
優勝した翌日に購入したスポーツ誌。
どの一面も、王監督が舞っていました。
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