2014年ホークスドラフト5位指名。
5位の指名にもかかわらず、会場では大きな拍手と歓声が広がり、
王会長も「彼は人気があるね」とコメント。
興南高校時代、沖縄県勢初の春夏全国制覇を果たしたエース投手。
将来が期待されたが中央大学で左ひじの故障。
大学4年間の成績は12勝20敗だった。
2015年のルーキーイヤーは三軍で21試合、二軍で9試合、そして一軍でも2試合に登板した。
毎年三軍の遠征や二軍戦でいい場面での登板が多く、首脳陣の期待の高さは感じた。
しかしコントロールに難があり、四球で自滅するケースも多くなかなか結果が出せない。
3シーズン目の2017年オフ、支配下選手を抹消。
2018年からは育成選手として再起をはかったが、
この2年、三軍戦は51試合に登板も、二軍戦の出場は9試合のみ。
今オフ戦力外通告を受け、引退を発表した。
昨今高校球児の球数制限がクローズアップされているが、
島袋も3年の春夏と甲子園では全11試合に先発。
あのころが一番速い球を投げていた
と言われることもあり、もし「球数制限」があるころに高校球児だったがどうなっていただろう?とも考えてしまう。
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