今日はホークスOB江夏豊(1976-1977年南海)のお話し。
江夏の有名なエピソードと言えば「江夏の21球」
1979年の日本シリーズ広島vs近鉄の第7戦。
広島1点リードの9回裏無死満塁のピンチを背負った江夏が
スクイズを見破り、大ピンチを退け広島悲願の日本一を達成したゲーム。
江夏の21球というタイトルが強すぎて、
この試合、江夏の投球数が21球と思っている人が多いのですが
実は間違いなのです。
この試合江夏は7回途中、1点リードながらもランナーを背負った場面で登板。
2番の小川をサードフライに抑える。
8回裏も登板した江夏は、3番から始まる近鉄打線を三者凡退に抑える。
ここまで完璧。
そして2度のイニングまたぎとなった9回にピンチを背負い…
そこからは皆さんご存知の展開です(知らない人は「江夏の21球」でググるか、書籍を買いましょう)。
江夏の投球数は41球。
江夏の・・・の倍近い投球数をこの試合で投げていたのです。
江夏が南海ホークス在籍時
野村監督の「革命を起こそう」の言葉でリリーフ投手と言う活路を見つけ出した江夏豊。
しかし当時のリリーフは今のように「1イニング限定」なんて考えはまるでなかった。
広島で日本一になった1979年。
江夏は中継ぎのみで55試合に登板。
投球回数は実に104回2/3
勝敗成績は9勝5敗22セーブですから
リードの場面だけでなく、同点やビハインドの場面でも
7回8回から登板していたことになる。
ちなみに近鉄の中継ぎ投手石本は、
1985年に中継ぎのみで70試合に登板。
投球回数131回1/3で中継ぎのみで規定投球回数に達する(当時はシーズン130試合制)。
さらに19勝を挙げ最高勝率と最優秀救援を獲得というとんでもない成績をマークした。
今じゃ考えられませんね。
ホークスで言うと2011年、中日との日本シリーズ。
無死満塁のピンチを森福が3人で封じた「森福の11球」があります。
痺れる場面での好投に歓喜しましたが、3人で押さえるとお役御免。
江夏のころだったらまだ回も浅いし、間違いなく跨ぎリリーフだったんだろうな。
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