2003年阪神タイガースを破り日本一となった福岡ダイエーホークス。
連覇を狙う翌年に入団した助っ人外国人がリンゼイ・グーリンだった。
1995年ニューヨークメッツ入団も3A止まりのグーリンは、
先発ローテテーション入り。
外国人投手というと、キレのある速球投手を期待していたが
速球は130キロ前後。
110キロ前後のカーブやチェンジアップで相手を翻弄する左腕で
オリックスの星野っぽい感じの投手だった。
緩急で勝負する投手なのだからコントロールが大事なわけだが
まぁ球数が多い。
四球とヒットで自らピンチを作り
そのくせスコアリングポジションにランナーをためても
のらりくらりとなんやかんや相手打線を抑えてしまう。
開幕から順調に白星を重ね前半だけで6勝。
王監督の監督通算1000勝目試合の勝利投手にもなっている。
しかし8月に打球を右手親指近くに当て負傷。
結局17試合の登板で終わったものの、
8勝3敗。
最後までけがをしなければ2ケタ勝利の可能性もあっただけに
まずまずの一年目だったと言える。
ところが・・・である。
その年で福岡ダイエーホークスはソフトバンクに身売り。
これまで補強に消極的だったホークスが
勝率1位だったもののプレイオフで敗れ優勝を逃した今期の悔しさからか
外国人の補強に強化。
バティスタ
フェリシアーノ
カブレラ
3人の選手が入団したこともあり、
外国人枠の問題で二軍スタート。
前年負傷するまで先発ローテを守り8勝を挙げたのに…
と思っていたに違いない。
モチベーションがぐんぐん下がったグーリンは
ファームの試合で打たれっぱなし。
そしてシーズンオフに解雇されてしまう。
ちなみに新入団の3外国人の成績は
バティスタ 135試合 .263 27本
カブレラ 131試合 .297 8本
フェリシアーノ 37試合 3勝2敗11ホールド
ううむ微妙。
これだったらのらりくらりのグーリンの方が戦力になってたかもと思ったりする。
もしもホークスがこの年もダイエーのままだったらここまで戦力補強をしなかっただろうから
グーリンのNPB選手生命もあと2-3年は伸びたかもしれない。
ホークス退団後のグーリンは、
マイナーリーグやアメリカ独立リーグを経て
2010年台湾の興農ブルズに入団も6試合に登板し0勝1敗2セーブでシーズン途中で解雇された。
ウイキペディア情報では、
今ではバトミントンクラブのコーチをしてるんだと。
バトミントン???
0コメント