甲子園で150キロ超えを連発し、全国にその名を轟かせた寺原隼人。
2002年のドラフト会議では巨人、横浜、中日と4球団が指名。
王貞治監督が当たりくじを引き当てホークスに入団した。
一年目6勝。
優勝した2003年は7勝と着実にステップアップしているかに見えたが、
2004年は開幕でつまずき二軍暮らしが中心。
2005年には左足首靭帯の断裂。
2006年は先発ローテに返り咲き、プロ初完封を挙げたものの3勝止まり。
この年のオフ、横浜ベイスターズへ移籍。
さらに2010年オフにオリックスへ移籍。
2012年オフ、FAを取得しホークスに戻ってきた。
横浜ではストッパーとして2008年に22セーブ。
2011年オリックスでは先発の中心で12勝を挙げるなど
さまざまなキャリアを積み、7年ぶりに帰ってきたホークス寺原は
先発、中継ぎ、敗戦処理。なんでもござれ。
工藤監督元年の2015年は21試合に登板し8勝3敗2ホールドだった。
寺原と言って思い出すのは2つ。
1つ目は2003年、福岡ダイエーホークス優勝の時のビールかけ。
優勝が決まったのは9月30日。
寺原は10月9日生まれなのでまだ19歳ということで、
会場ではわざとらしくコーラをもって会見に挑んでたが、
あれ絶対飲んでたよなぁ・・・。
今なら絶対問題になるけど、当時はまだおおらかな時代だったのだろう。
ちなみに日本一になった後のビールかけでは
20歳になった寺原投手。しっかりビールを書けたりかけあっれたりしてました。
それからもう一つ印象に残ってるのは、ドカベンプロ野球編。
ドカベンの中では、なんと寺原は高卒一年目で開幕投手を務めたのだ。
サードの岩鬼に「てらっぱらぁ」と言われてたのが印象的。
あれ?試合での雄姿一切書いてないや(笑)。
FA復帰後の寺原は、ベテランとして中継ぎとしても先発としても
ソツなく仕事をこなしている印象がある。
今季も21試合に登板し4ホールド。
防御率2.39。
編成の都合上戦力外になったが、まだまだ活躍の場さえ与えられればチャンスはある。
古巣のベイスターズが興味を示しているとの報道が。
ホークス⇒ベイスターズ⇒バファローズ⇒ホークス
珍しい2球団目の古巣出戻り移籍となるのか?
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